未婚ママの『幸せいっぱいこの指とまれ!』

『この指とまれ!』のポーズで生まれてきた娘が、たくさんの幸せを引き寄せ中です!

鎮痛剤が効かないお腹の激痛!!【38歳、原因不明の急性膵炎になる①】

去年の12月中旬の事です。

 

その日は会社のお休みで、朝イチで郵便局へ行きました。

 

ゆうちょ銀行のATMに並んでいた時、上腹部に今まで感じたことの無い違和感が…。

 

それはどんどん痛みに変わり、なんとかお金を下ろして車に戻り、しばらく落ち着くまで待ってみたものの良くならず、とにかく短い距離だったのでゆーっくり運転して(大変危険な行為です?)帰宅しました。

 

郵便局に出かける間、娘はジイジにみてもらっていましたが、事情を伝えて少し横になったものの…痛みは続きました。

 

病院、行くしかないやつだ。

 

歩いて行ける場所にかかりつけの内科があったので、ヨロヨロしながらなんとか一人で診察を受け、

血液検査も受けましたが、今のところは特に異常値は見られないとの事。

以前、虫垂炎になった事があって、その時の痛みに似ている感じもあったので、とりあえずニューキノロン(抗生剤)とブスコパン(鎮痙、鎮痛剤)を出してもらって、

再びヨロヨロしながら帰りました。

 

かかりつけの内科医からは、痛みが続くなら救急に行きなさいと言われました…

 

 

不思議な、そしてかなりきつい痛みでした。

 

ひょっとして腸閉塞か?と思うくらい、

お腹がガスで張った時の部類のひどい痛みで、

動くと痛いけど、休んでも痛い。

胃の裏側が一番痛く、そのうえ上腹部が全体的に痛みます。

 

内科で貰った薬をすぐに飲んで、横になっていましたが、もはや仰向けも横向きも厳しく、お腹をできる限り宙に浮かせたうつ伏せに近い姿勢で、ひたすら耐えるしか有りません…

 

病院から帰ってきたのがお昼前頃。

微熱がありました。

鎮痛剤は全く効きませんでしたが、抗生剤を飲むとほんの少し痛みがマシになった気がしました。

 

経験上、鎮痛剤が効かない腹痛は救急に行くべし!と心の羅針盤は日赤病院を指しています…

 

夕方になり、バアバが仕事から帰ってきた後、娘をジイジに託し、バアバに付き添ってもらい、日赤の救急へ行きました…

 

 

日赤の救急外来のその日の当直医は、脳神経内科の先生でした。

諸々の問診のあと、血液検査、尿検査、腹部CTを受ける事になりました。

 

CTを取った後、さらに胸部のレントゲンも追加で撮る事に…。移動は全て車椅子で看護師さんがついてくれます…。

病棟と連絡して、空きベッドの状況を確認しているような…。

??もしかして、入院になるのか??

とその時やはり只事では無い周りの対応に、家で留守番をしてくれている娘の事が頭をよぎります。

 

検査が一通り終わり、診察室で点滴が始まりました。点滴にはアセリオ(アセトアミノフェン)が加わりました。

 

 

そして、再び診察に当直医が戻ってくると、待合室のバアバも呼ばれ、

「膵炎ですよ」

と告げられました…。

 

CT画像では、ぐにゃぐにゃに腫れ上がった膵臓が、左の腎臓にまで達していました。

 

幸い、アセリオが効いてきて座って先生のお話を聞けるほどになりましたが、

なんで??私が膵炎に??アルコールも飲まないし、3週間前の人間ドッグでは肝臓の値も脂質の値も異常なしだったはずなのに!?

大丈夫なの?私…??

と衝撃の連続でした。

 

たまたま病院にいらっしゃった肝臓内科の先生の都合がついて、当直の先生とバトンタッチ。

 

当然ですが…入院を強く勧められました。

 

当時2歳4か月の娘と1週間離れて大丈夫か?コロナで入院中は誰とも面会できません。

仕事の方も調整が必要です…。

 

その日のうちに帰れるか、入院しても2、3日だろうと思っていたので、1週間はちょっと…と難色を示すと

とりあえず帰って、翌朝、また通院する事になりました。

 

 

飲み薬や坐薬をたくさん貰い、その日は何とか家に戻りました…。

家に着くと、娘はジイジと寝付いていたのでした。

 

 

つづく

 

※この内容はあくまで個人の体験によるものです

読んでくださりありがとうございました!!

はじめての脳波検査!…は眠れない【娘のてんかんについて④】

今年の3月中旬に、初めてけいれん発作を起こした娘。

夜、寝始めて15分くらい経った頃、突然発作は起きました…

 

かかりつけの小児科を受診し、市内のこども病院に紹介状をもらい、詳しい検査と専門医の診察を受ける事になりました。

 

発作から10日。

初めての発作以降、娘の様子はそれまでと特に変わった感じもなく、2回目の発作は起きていません。

 

でも、娘が毎晩寝付いてから1時間くらいは、また発作が起きるのではないかという不安で、母は気が気ではありません…

寝不足の日が続いていました。

 

ネット情報でさらに気持ちも不安定になり、

娘は毎日楽しそうにしているのに、母の気持ちはちっとも晴れません。

ウクライナで起きている悲惨な戦争のニュースも追い討ちをかけ、鬱々とした時間を過ごしてしまいました。

 

 

こども病院へは、念のためバアバも一緒に来てもらいました。

 

娘は言葉が早い方で、日常会話はかなり理解してくれるようになっていましたし、お話も大分上達していましたが、

てんかんという病気の疑いがある、という事を説明するのはとても難しく、本人はいたって元気だったので、

「お母さんが病院に行くんだけど、一緒についてきてくれるかなぁ?」

という説明に落ち着きました…。

 

それから、娘が検査でスムーズに寝てくれる様に、毎日使っている枕とブランケットも準備。

お気に入りのおもちゃ数点の、待ち時間対策も整えて挑みました。

 

 

病院に着くと、診察の前に身体測定です。

身体測定はご機嫌で受けてくれた娘ですが、すでに待ち時間で眠気が。

これは良い感じに脳波検査が進みそうだと思っていました。

 

身体検査のあと、先生の診察になりました。

予約の電話でお話しした先生です。

 

改めて、発作の起きた状況や、その時の動画をみていただきました。

 

先生の見立ては、やはりてんかんの可能性が高いとのことです。

発作のパターンは、焦点性てんかんだろう、とのことでした。

 

先生と母が一通りお話しが終わったところで、娘の身体検査にうつりました。

聴診に加え、神経科ならではの神経学的検査です。

娘の手足の筋肉の張り具合や、打腱器で反射をみていきました。

簡単な指示で、娘の受け応えなども観察されていたようです。

 

診察の間、娘は眠気Maxに。ぐずぐず甘えたり、床に転がったり、診察の緊張と相まって何とも居心地の悪そうな様子でした。

 

先生も、

「良い感じに寝てくれるといいね〜、もう眠そうだからお薬飲んでみようか」

とのこと。

 

診察は終了し、処置室でオレンジ色のシロップを飲んでもらいました。

 

30分後くらいには寝てくれると思いますよ、と看護師さんもおっしゃっていたので、

初めての脳波検査に母も緊張しつつ、検査室の前で娘が眠るのを待ちました。

 

…ところが。なかなか寝つきません。

ぐにゃぐにゃになりながらも、娘はひたすら耐えて、40分ほどが経ちました。

 

再び処置室へ案内され、お薬を追加です。

1回目の半分の量を飲み、またしばらく待つことになりました。

 

…それでも…寝てくれない!

もう、朦朧としているのに寝つきません…

 

脳波検査を受ける部屋の方が暗くて寝るかもしれません、と言われ、

次は薄暗い検査室に通されました。

脳波の検査室は、防音室のようなお部屋にベッドが1台あり、まわりには機器が並んでいました。

 

最初はベッドに寝かせ、母も一緒に添い寝をしましたが、いつもとはぜんぜん違う場所で余程緊張していたのか、

朦朧としながらも寝つく様子は全くありません…

 

仕事は年休をとって、遅寝早起きし、ねんねグッズを片手に挑んだ脳波検査でしたが、

最初のお薬を飲んでからかれこれ2時間近く格闘し、一向に寝付く様子がない娘…

 

こうなったら、最後の手段!

母はグデグデになった娘を抱え、一度病院から出て、やや興奮気味になった娘を無理矢理車に座らせて、駐車場をぐるぐると周回しました。

 

始め泣いていた娘でしたが、いつもの車内に落ち着いたのか、車に乗せてから5分もせずにぐっすり寝落ち。

再度娘を抱えて検査室に戻り、ようやく脳波検査が始まりました。

 

検査技師の方の話では、

「こういうことはあるんですよ、中には3回お薬飲んで眠れなくて、帰りの車で寝てしまったとかいうことも。」

 

てんかんかどうかはさておき、とにかく検査が受けられて1つクリアした!

今までの鬱々とした気分がちょっとだけ晴れた気がしました。

 

 

…続く。

 

 

※この内容はあくまで個人の体験によるものです。

読んでくださりありがとうございました!

 

 

こども病院の予約をとる【娘のてんかんについて③】

娘のが2歳7か月の時、初めてのけいれん発作がおきました。

 

発作があったのは土曜日の深夜。

かかりつけの小児科に月曜日の朝受診しました。

 

発作時に救急に行くべきだったと反省していますが、幸い娘の発作は麻痺なども残らず翌朝もいつも通りご機嫌でした。

 

かかりつけ医に相談したところ、やはりてんかんの可能性が高そうです。

一度脳波検査を受けておくように、と言われ、

市内のこども病院の紹介状を貰いました。

 

 

こども病院に電話をかけ、娘の生年月日や大まかな症状、小児神経科の紹介状をもらった件など事務の方に伝えると、担当の先生から後ほど連絡を入れます、とのことでした。

 

小児神経科だけ(あるいは、てんかん疑いの時)なのかも?知れませんが、

事務さんとの1回のやり取りだけでは予約が取れないですね…

母以外の連絡先も1件教えてほしいとの事で、バアバの連絡先も伝えました。

 

担当の先生から電話をいただいたのは、翌日の午後だったかと思います。

病院の事務の方から電話があり、直ぐに担当者の先生につながりました。

 

ハキハキとした女性の先生でした。

電話口で、娘のけいれん発作の様子を事細かに聞かれました。

特に、発作の最中、娘の目が開いていたかどうかを2、3度訊ねられましたが、残念ながら見ていません…

娘の表情は髪に隠れて全く確認していませんでした。

てんかん発作は、目を見開いている事がほとんどなのだそうです…

 

ですが、発作の後よだれが沢山出ていた事を伝えると、それはてんかんの可能性があるので、では脳波検査の予約を取りましょう、

と言われ、受診日が決まりました。

 

 

てんかんの診断には脳波検査は必須。

幼児の脳波検査は、長時間安静に出来ないので、しっかり寝かせた状態で取るそうです。

検査の前に睡眠薬を飲むそうですが、寝てくれない子どもも稀にいるようです。

 

受診日の前日夜は夜更かしを、当日朝は早起きさせて来るように、と言われました。

 

娘の生活パターンも考慮し、普段保育園でお昼寝をしている時間に近いタイミングで検査の予約をとりました。

 

その後再び事務の方に電話が替わり、当日何時に病院に着けばいいか、持ち物などの連絡を受けました。

(持ち物は、保険証、こども医療証、母子手帳、紹介状の4点です)

 

結局、発作が起きて10日経った、翌週の火曜日が受診日になりました。

 

どうかそれまで、娘に何も起こりませんように…

 

翌週の受診日がずっと先の事の様に感じる母なのでした。

 

 

※この内容は個人の体験によるものです。

読んでくださりありがとうございました!

無熱性けいれんで紹介状をもらう【娘のてんかんについて②】

子育てって、本当にいろんな事が起こりますね…

 

昨日まで全く順調だと思っていたのに、ある日状況が一変してしまう事も。

 

初めてのけいれん発作が起きた翌日、いつも通りご機嫌な娘をよそに、不安で鬱々とした気分の母でした…。

 

ちなみに、娘は発作の事を覚えているようでした。

昨日の晩の出来事について聞いてみると、

「おえーってなったよ」

と、吐いた事の方がインパクトが強かったようですが、

「おてて、ブルブルしたね」と話題を振ると、

「あしもブルブルしたんだよ」

と言っていました。

 

 

夜中ネットで調べまくって、てんかん以外の可能性もあるのかも…?でも、発作が起きた状況はてんかんの可能性が高そうで…

ネット情報にかき乱される悪いパターンにはまっていました。

 

娘がてんかんか否かは別として…

幼児はてんかん以外でも、様々な理由でけいれんを起こすらしいです。

お熱が高い時のけいれん発作は認知度が高いかと思いますが、その他にウイルス性の胃腸炎になった時も、発熱がなくても稀にけいれん発作が起きるそうです。

 

嘔吐したし、数日お腹ゆるかったかも知れないな…

淡い期待が頭をよぎります…

 

(どうか、てんかんではありませんように…)

 

昨日の晩の出来事をまだ受け入れられずにいる母なのでした。

 

 

とにかく病院へ。

 

どこの病院で診て貰えばいいか少し迷いましたが、朝の時点で娘の様子がいつも通り元気で、発作の影響は無さそうだったので、月曜日の朝いちでかかりつけの小児科に行く事にしました。

 

たまたまですが…かかりつけ医の先生は、小児神経科ご専門でした。

 

娘に病院に行く事を告げると、

え?なんで?お熱ないのに?元気だよ?と不審がられましたが、

「おえーってなったから、お腹診てもらおうね」と何とか説得。

 

週明け混み合う小児科に、朝早く出かけて診察を待ちました。

 

診察を受ける際、発作の状況を時系列にそってメモを残しておいたのと(メモは診察の時に言い忘れや説明不足を防ぎ、大変役立ちました)、スマホで撮影した発作の動画を持って行きました。

 

小児科の先生にそれら全て見せ、簡単な娘の聴診などの診察を受けたあと、

やはりてんかんだと思いますが、一度脳波検査を受けておいた方が良いとのことで、

市のこども病院に行ってくださいね、と紹介状を書いて貰いました。

 

かかりつけ医からの紹介状には、私の書いた発作のメモのコピーが添付され、無熱性けいれんのため…との内容が書かれていました。

 

「子供のてんかんは成長と共になおる場合が多いですからね〜」と仰っていましたが、

てんかんでしょう言われてしまったのがショックで、そう簡単には気持ちの整理がつかない母なのでした…。

 

午前中で診察が終わったので、その足で娘を保育園に預け、私は仕事へ向かいました。

 

保育園の先生に事情を説明すると、

「お母さん大変でしたね。わかりました、しっかり様子を見ておきますね〜」と心強い言葉をかけられて、少し気持ちが楽になりました。

 

次はこども病院の予約です…

 

(つづく)

 

 

※この内容は個人の体験によるものです。

読んでくださりありがとうございました!

2歳7か月でてんかん発作【娘のてんかんについて①】

今年の3月中旬。

いつもの週末、いつもの土曜日の夜。

いつも通りに寝ついたはずの娘でした。

 

 

私も娘の隣で既にウツラウツラしていた時。

突然娘の発作は始まりました…

 

入眠後15分くらい経った頃だと思います。

娘の呼吸が突然小刻みになったのに気づいて目が覚めました。

 

スッ、スッ、スッ…

呼吸はリズムを保っていますが、かなり早かったです。

 

おかしい、どうした!?

右側を下にして横向きに寝ていた娘は、体をくの字に折って、拳を固く握っていました。

 

そして、呼吸よりは遅い、一定のリズムで、左側の腕と脚がピクッ、ピクッ、ピクッとけいれんしていました。

 

これまでトラやクマなどのてんかんを何度か見てきた獣医の私は、すぐにてんかん発作だろうと思いました。

 

人の発作を見たのは初めてです。

 

本人は意識はあるかも知れないので、娘の背中にそっと手を当て、いつも通りの口調を心がけて、

「お母さんいるからね、大丈夫だよ〜。」

と、娘の名前を呼びながら話しかけました。

 

手の届く所にスマホがあったので、すかさず動画も50秒ほど撮影。

診断に大事な情報となるはずです。

 

娘の体を触っても、熱はありません。

熱性けいれんではなさそうです…。

 

しばらくすると、呼吸が少しずつゆっくりになり、手足のピクッ、ピクッもゆっくりになってきました。

これはもうすぐ治りそう。

 

発作は5分くらい続きました。

見ているのが、辛く、とても長く感じた5分でした。

 

娘も何かおかしいのが分かっているようで、けいれんが治ってすぐにモニョモニョと言葉を発していましたが聞き取れません。

 

けいれんが止まり、手で自分の髪の毛を払おうとする仕草を見て、少し抱きかかえ、仰向けにしました。

 

お布団はよだれで濡れていました。

 

発作が止まってからしばらく、眠そうにぼんやりしている時間がしばらくあり、眼は不自然に左側を向いていました。

 

「びっくりしたね、きつかったね、もう大丈夫だからね」

私も動揺していましたが、きっと本人の方が不安だったはずです。

 

もうしばらく様子を見ていると、次第にはっきりおしゃべりできるようになりました。

 

「おかーさん、きもちがわるいの」

と言うので、背中を摩っていると、娘は再び寝付きました。

 

嘔吐に備えてタオルと洗面器を準備。

 

発作が起きてから1時間くらい経っていたと思います、

娘はまた目を覚まして、泣き始めました。

顔色が悪く、嘔吐しました。

 

一度吐いた後、気持ち悪さも解消したようで、それから朝までグッスリ寝ていました。

 

母は…今目の前で起きた出来事をメモに残し、スマホで子供のてんかんを調べまくり、明け方まで寝つけませんでした。

 

とにかく、病院へ行かねば。

 

本当は、はじめての発作の時は救急車を呼んでも良かったなと、後から思いましたが、

翌朝いつも通りに目が覚め、機嫌もよさそうな娘を見て、取り敢えずホッとしました。

 

(つづく)

 

 

※この内容はあくまで個人の体験によるものです

読んでくださりありがとうございました!!

目からウロコ!小児科で教わった1歳半児にお薬を飲ませる方法!

もう、1年以上前の事ですが…。

 

娘が保育園に通いだし、いくつかの病気や風邪をもらってきた頃のお話です。

 

娘は鼻水をよく垂らし、時々中耳炎になりかけ、そしてしょっちゅう溶連菌の検査に引っかかりました(汗)

 

溶連菌は本当に厄介です。

 

罹ってもウイルスではないので中和抗体が出来ないし、保育園のクラスで誰かが持っているとまた罹ります。

感染の度に熱が出て、喉が腫れ、今どきコロナを疑われます…

 

そして、母を悩ますのが

「必ず2週間飲んでくださいね!!」

と出される抗生剤なのであります…

 

1歳半でイヤイヤ期に突入していた娘に、お薬を毎回飲ませるのがとにかく大変!

 

ヨーグルトとか、レディーボーデンのイチゴアイスとか、彼女の好物に混ぜ込んで与える手口が完全に見切られ、小児科の先生に相談してみました…

 

「先生簡単に抗生剤飲んでねーって出すけどさぁ〜、この人に飲ますの、猫に薬飲ませるより10倍大変なんですヨォ」

 

と、心の中で叫びながら伺ったところ…

 

「もうねぇ〜、嫌がっても粉のまま無理矢理飲ませちゃった方が良いんだよ、お母さん。人生嫌なことでもやらなきゃいけないこといっぱい有るんだからさあ〜、それでゲフッてなっても少しでも飲めたらいーっぱい褒めてあげて。根気よく続けてたら、そのうち自分から口開けて飲んでくれるようになりますよ〜。」

 

との事!!

 

幼児もハズバンダリートレーニングなんですね、先生!

 

動物相手の仕事をしている母は、妙に納得したのでありました。

 

 

帰って早速実践です!

粉のままゲフッとなるのは少々気が引けるので、ごく少量のお水に溶いて、スプーンで無理矢理口に放り込みました。

 

もちろん、うげぇーっとなりましたが、すかさず

「わーすごーい!お薬飲めたねー!」と拍手喝采

 

娘もまんざらでも無さそうです。

 

そして、ご褒美にアンパンマンチョコを2粒食べて良い事にしました。

アンパンマンチョコ以外にも、果汁グミやイチゴアイスなど、口直しになる物を準備します。

 

今ではお口直しを食べたいので、自分で頑張ってお薬を飲んでくれる事が殆どです。

 

娘の協力が得られて、ほんの少し育児が楽になった〜と思えます。

 

 

しばらく風邪引かないと、

「おかーさん、おすくり飲みたいなぁ〜」なんて事も言っています(笑)

 

 

 

読んでくださりありがとうございました!

ジイジ、保育士になる!【67歳の就職活動!完】

大変ご無沙汰しておりました…

 

前回最後にブログを書いたのは、なんと1年半も前!

 

その間、さまざまな出来事が起こり、世の中も、私たち家族の生活も、目まぐるしく変化しました。

 

我が家の最大の変化は、この4月からジイジが再び働き始め、バアバが仕事を辞めた事です。

 

ジイジの事を書いたのはもう2年も前ですが、あれからジイジの就職活動がどうなったかと言いますと…

今年2月に無事保育士の免許を取得し、自宅近所の保育園に就職したのであります!!

 

 

保育士を目指して勉強を始め、約2年。

書店で買ってきた2冊の参考書だけをひたすら読み返して勉強していました。

 

1回目の試験では、学科に1つだけ不合格があったものの、2回目の試験で無事通過し、実技はおはなしとピアノを受験しめでたく合格しました!

 

参考書は既にボロボロになっていますが、今でも時々開いて見ているようです。

 

 

現在67歳。

採用して下さった園の方にも大変感謝です。

 

白髪頭の新米男性保育士誕生です(笑)

 

若い女性が多いであろう職場に、果敢に飛び込み、日々子どもたちにもみくちゃにされているとか、いないとか。

 

きっと園児の方にもすぐに覚えてもらった事でしょう。

 

うちの娘(2歳9か月になりました!)もジイジが保育園の先生になった事がちょっと嬉しいようです。

 

帰宅後はグッタリのジイジですが、毎日イキイキして見えます。

 

 

夢が叶って良かったね、ジイジ!!

 

そして…今年のクリスマスは大活躍するに違いないでしょう!

 

 

 

読んでくださりありがとうございました!!